三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。
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〇柳居-佐久間柳居(1686~1748)。江戸時代中期の俳人。貞享3年生まれ。幕臣。貴志沾洲の門にはいるが、江戸座の俳風にあきたらず、中川宗瑞らと「五色墨」をだす。のち中川乙由の門下となり、蕉風の復古をこころざし、松尾芭蕉の五十回忌に俳諧集「同光忌」を撰した。延享5年5月30日死去。63歳。名は長利。通称は三郎左衛門。別号に松籟庵,長水,眠柳など。
〇辻村逸漁(1741~1797)-河崎の廻漕問屋(運送業)、辻村家の三代目当主。俳人で加藤暁台と親しく、加賀千代も来訪したことがある。三浦樗良、井上士朗を師友とした。
〇翠簾-恐らく「みす」と読む。緑色のすだれ。青竹のすだれ。
〇引墨-合点をつけること?
〇節衣-現在の読みは普通は「せちごろも」だが、ここでは「せつい」?正月の節振る舞いの席上で着る小袖。「節振る舞い」は節日に人をご馳走でもてなすこと。特に、正月節日に、新年を無事に迎えたことを祝って親類縁者を招いて宴会を行うこと。
神風館七世 何声まとめ
・宝永五年(1708)生まれ?名は穂音、号は風鈴庵。
・延享三年(1746)、古雅堂己蝶、羅々と三人共編の「いせあし鼎」を発行。麦林門の八僊、柳居、麦浪の序跋あり。
・宝暦十一年(1761)、温故没後、神風館を継承。
・宝暦十三年(1763)、神風館歳旦帳発行。
・明和元年(1764)、神風館歳旦帳発行。
・明和五年(1768)二月二十四日、死去。
○角鹿斎一鼠(1730~1782)-大阪の墨師で受領号(江戸時代、優秀であると認められた職人や芸人が、国名を付した官名を名のることを許されたこと。)は井上出雲掾。俳諧は建部涼袋門。越前国敦賀生。蕪村や樗良ら、中興諸家と交遊した。
○芭蕉の木槿塚を西行谷に~-「西行谷」は西行が晩年伊勢に住んだと言われる場所で、二見と宇治の2説あるが、この「木槿塚」は宇治の西行谷に建てられた。「木槿塚」は『野ざらし紀行』に載る「みちのへのむくげは馬にくはれけり」句の芭蕉真筆短冊を西行谷の松の下に埋め、その傍らに建てた碑のこと。この碑はその後、伊勢市辻久留町の威勝寺(明治3年廃寺になったので、もしくは威勝寺跡)に移され、昭和初期まではそこにあったが、のちに豊宮崎文庫跡に移された。
(おわり)
神風館六世 温故まとめ
姓氏・住所・生年不明。最初は麦林に師事。世木曽北の門人。梅路に兄事した。号は呉竹庵。
享保十三年(1728)4月、威勝寺での麦林門下の百時鳥会に参加。
寛保二年(1742)、乙由三年忌に句あり。
延享二年(1745)、芭蕉五十回忌に京都東山の沙羅双樹林寺(双林寺)で催された、彭城百川の記念句集『「八仙観墨なほし』に何声(7世)らと共に入集。
延享三年(1746)秋、江戸の白井鳥酔を伊勢岡本の妙法寺に迎える。
延享四年(1747)幾暁の「笈の塵」(序百川)に入集。
延享四年(1747)2月23日、梅路死去。
延享四年(1747)10月、双林寺で彭城百川によって剃髪。
寛延元年(1748)4月頃、伊勢へ帰って呉竹庵に入り、神風館をつぐ。
寛延二年(1749)7月、加賀の掘麦水を伊勢岡本の妙法寺に迎える。
寛延三年(1750)、梅路の碑を、既建の涼菟、曽北碑のそばに建立。
宝暦二年(1752)秋、大神宮奉納句集に何声らと句を奉納。
宝暦四年(1754)10月、師曽北の遺命を奉じて入楚らと芭蕉の木槿塚を西行谷に建立。
宝暦十一年(1761)九月二十日、死去。
○墨直し-石碑などの字にさした墨が風雨であせたのを、新しく墨をさして直すこと。
○何声-神風館7世。
○くすり喰(薬食い)-滋養のために食べること。薬用として食べること。
○手向け草-たむけにする物。神仏や死者などに供える品。
○白井鳥酔(1701~1769)-江戸時代中期の俳人。元禄14年生まれ。もと上総(千葉県)地引村の代官。江戸で佐久間柳居にまなぶ。松尾芭蕉の旧跡を遊歴し、晩年は相模(神奈川県)大磯の鴫立(しぎたつ)庵ですごした。明和6年4月4日死去。69歳。名は信興。通称は喜右衛門。別号に百明台,松原庵など。編著に「夏山伏」「冬扇一路」など。
○堀麦水(1718-1783)-江戸時代中期の俳人。享保3年生まれ。中川麦浪らにまなぶ。貞享期の蕉風に傾倒し、編著に「新みなし栗」、俳論書に「蕉門一夜口授」など。「慶長中外伝」など実録物でも知られる。天明3年10月14日死去。66歳。加賀(石川県)出身。名は長。字は子傾。通称は池田屋平三郎。別号に樗庵、四楽庵など。
○兎士-成子兎士(天和4年(1684)~宝暦7年(1752))。山田岡本の人。名は家忠、号は義上園。酒家を営み成子屋と称した。俳諧、俳画をよくした。
○幾暁-幾暁庵雲蝶(?~1756)。江戸中期の俳人。伊勢山田の人。別号に春波・安楽坊・星見庵等。各務支考・中川乙由に師事する。神職の出であるが出家し讚岐玄忠寺に入る。旅を好み九州各地を遍歴し美濃派の俳諧を広めた。金沢龍国寺で乙由十三回忌を営んだ後、法船寺明誉に師事。宝暦6年(1756)寂、63才。
○籠ぬけ(籠抜け)-飼い鳥として籠かごの中に飼われていたものが逃げ出すこと。また、その鳥。
○名こし(名越し・夏越し)-名越しの祓(はらえ)のこと。六月晦日に各神社で行われる祓の行事。姓名・年齢を書いた形代かたしろを神社に納めたり、水に流したりし、あるいは、参詣者が茅の輪くぐりをして祓をうける。六月祓(みなづきのはらえ)。夏祓(なつばらえ)。夏越しの御禊。輪越しの祭。 [季] 夏。
○双林寺-京都市東山区にある天台宗の寺院。山号は霊鷲山(または金玉山)。院号は法華三昧無量寿院。寺号は正しくは沙羅双樹林寺という。本尊は薬師如来。
○閑阿弥陀仏-双林寺内の建物らしい。「双林寺閑阿弥亭」などネットにある。
○八仙観-彭城百川の号。南画家として有名だが俳諧師でもあった。俳号は松角、のち昇角。俳諧では支考に就き、名古屋や伊勢で活躍。中川乙由(麦林)や和田希因など伊勢派の人物と親交した。梅路に傾倒していた建部涼袋の画・俳両方の師。
○観念-仏教の瞑想法の一。精神を集中し、仏や浄土の姿、仏教の真理などを心に思い描き、思念すること。
○思ひ草-ナンバンギセルの別名。《季 秋》
○鴈字亭井村寸童-正徳元年(1711)~安永7年(1778)。俳人。別名に結命、茂衛門、三郎右衛門。伊勢岡本町住。伊勢渡会人物誌では「井村三郎衛門」の名。また「寸堂」となっている。
○青東風(あおごち)-土用中に空に一点の雲もない青空で東風の吹きわたること。《季節 夏》
○肩衣-室町末期から素襖(すおう)の略装として用いた武士の公服。素襖の袖を取り除いたもので、小袖の上から着る。袴(はかま)と合わせて用い、上下が同地質同色の場合は裃(かみしも)といい、江戸時代には礼装とされ、相違するときは継ぎ裃とよんで略儀とした。
○田荘(たどころ)-田地。田のある所。
○経机-読経の際、経典をのせる黒または朱の漆塗りの机。
○純子-たぶん緞子(どんす)のこと。
○鳳巾-凧(たこ)。いか。 [季] 春。
○和布-柔らかな海草。ワカメの類。
(終)
神風館五世 梅路まとめ
生年不明。伊藤又一、または中森又一。河崎町住、漁商と伝えらる。河崎音頭の作者の一人。
享保九年(1724)、各務支考編「三千化」に伊勢山田川崎連中として句が見える。
享保十年(1725)八月、一志郡香良洲(からす)神社、神遷奉納歌仙に麦林門下連中と唱和。
享保十三年(1728)、威勝寺の麦林門下の百時鳥連句大会に列席、乙鳥舎の号あり。
寛保二年(1742)冬、師曽北の病床に持して、俳諧の旧式口訣を承けた。
寛保三年(1743)二月五日、曽北死去。
延享三年(1746)晩秋、梅路に傾倒する建部涼袋が伊勢に来て、その病床を見舞った。
延享四年(1747)二月二十三日、死去。