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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館六世 温故(1)

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神風館六世 温故(1)

 

六世 温故

姓氏住所未詳、麦林、曽北門人、梅路に兄事し、伊勢風の継承
者である。宝暦十一年(1761)九月二十日没、享年不明。
梅路没後、寛延初年頃神風館を襲号し、呉竹庵の号があり、
その門に詮史、圭史、茂集、倭石、竹茂、俵子等があった。
その性格を知る資料として、明和四年(1767)七回忌に成った「くれ
のあき」の入楚の序に
 温故、志学の頃より俳諧をこのみて麦林門下の門人たり。世業
 もきらひ、仕官もいやと酒を呑みて昼寝を好みけるが、延享四(1747)
 神無月、洛東双林寺の閑阿弥陀仏が許にして八仙観か剃刀を
 いたたき、木のはしににほひなくとも梅もとき、と観念して郷
 里に帰り呉竹庵に住して、兼ねて神風館主と成れり。或時、予に
 対し一生此道に遊ぶといへども其密味をしらす、とつふやき
 て、思ひ草石にもならす秋暮ぬ、と笑ひしは心の奥深くぞ覚
 えぬ。それなりに宝暦十一年(1761)の秋身まかりぬ、云々。
とあり、この文によると温故が、延享四年(1747)冬、神風館主となった
様に解せらるゝが、実は行文の間に幾許の月日が流れて居り、岡
本住、鴈字亭(がんじてい)井村寸童の句稿に拠ると、寛延元年(1748)四月頃の句に
 温故入庵を賀して
 青東風や千畳に増詠もの
の吟が見え、温故の呉竹庵入と推定され、兼て神風館主となっ
たことを知るのである。

○双林寺-京都市東山区にある天台宗の寺院。山号は霊鷲山(または金玉山)。院号は法華三昧無量寿院。寺号は正しくは沙羅双樹林寺という。本尊は薬師如来。
○閑阿弥陀仏-双林寺内の建物らしい。「双林寺閑阿弥亭」などネットにある。
○八仙観-彭城百川の号。南画家として有名だが俳諧師でもあった。俳号は松角、のち昇角。俳諧では支考に就き、名古屋や伊勢で活躍。中川乙由(麦林)や和田希因など伊勢派の人物と親交した。梅路に傾倒していた建部涼袋の画・俳両方の師。
○観念-仏教の瞑想法の一。精神を集中し、仏や浄土の姿、仏教の真理などを心に思い描き、思念すること。
○思ひ草-ナンバンギセルの別名。《季 秋》
○鴈字亭井村寸童-正徳元年(1711)~安永7年(1778)。俳人。別名に結命、茂衛門、三郎右衛門。伊勢岡本町住。伊勢渡会人物誌では「井村三郎衛門」の名。また「寸堂」となっている。
○青東風(あおごち)-土用中に空に一点の雲もない青空で東風の吹きわたること。《季節 夏》


 

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