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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館六世 温故(2)

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神風館六世 温故(2)

 

なほ麦林以来、伊勢俳家と風交関係のあった画、俳家八仙堂彭城百川との交渉が窺はれるが、この前々年、延享二年(1745)、芭蕉五十回忌に、京の双林寺に催された百川の墨なおし記念集「八仙観墨なほし」に、何声、素道らと共に温故の句も入集して居る。
少年時、俳道に入り麦林に師事した。享保十三年(1728)卯月、威勝寺に於ける、麦林門下の百時鳥会に加わり、錚々たる連中に伍して
 時鳥鳴け夏の夜のくすり喰
 杜鵑待間あふなし釣行燈
の発句を成し、また唱和吟をのこし、既に一家をなして居た。

○墨直し-石碑などの字にさした墨が風雨であせたのを、新しく墨をさして直すこと。
○何声-神風館7世。
○くすり喰(薬食い)-滋養のために食べること。薬用として食べること。


 

寛保二年(1742)、乙由三年忌には
 薬にも掘て甲斐なし手向け草 温故
の手向け一章を捧げて、追福の実を致し、延享三年(1746)秋には、江戸の白井鳥酔、寛延二年(1749)七月には加賀の掘麦水の来遊を迎へ、いづれも同門のよしみを以て、麦浪、兎士らとこれを岡本里、如法寺に招して雅莚をのべた。雅客両人は同寺庭に建立せられた麦林閑古鳥の碑前に
 飛て行五文字古りて秋の風 鳥酔
 さびしさは其日といづれ秋の寺
と吟じつゝ、先師の俤をしのび、懐旧の情、切なるものがあった。

○手向け草-たむけにする物。神仏や死者などに供える品。
○白井鳥酔(1701~1769)-江戸時代中期の俳人。元禄14年生まれ。もと上総(千葉県)地引村の代官。江戸で佐久間柳居にまなぶ。松尾芭蕉の旧跡を遊歴し、晩年は相模(神奈川県)大磯の鴫立(しぎたつ)庵ですごした。明和6年4月4日死去。69歳。名は信興。通称は喜右衛門。別号に百明台,松原庵など。編著に「夏山伏」「冬扇一路」など。
○堀麦水(1718-1783)-江戸時代中期の俳人。享保3年生まれ。中川麦浪らにまなぶ。貞享期の蕉風に傾倒し、編著に「新みなし栗」、俳論書に「蕉門一夜口授」など。「慶長中外伝」など実録物でも知られる。天明3年10月14日死去。66歳。加賀(石川県)出身。名は長。字は子傾。通称は池田屋平三郎。別号に樗庵、四楽庵など。
○兎士-成子兎士(天和4年(1684)~宝暦7年(1752))。山田岡本の人。名は家忠、号は義上園。酒家を営み成子屋と称した。俳諧、俳画をよくした。

 

延享四年(1747)、幾暁の「笈の塵」(序百川)に入集、宝暦二年(1752)秋、素道願主の大神宮奉納句集には、南利、何声らと共に句を献じた
 柏手もこゝろ有べし花の時 温故
 春ことに銭をふらすや五十鈴川 南利
 千木の肌合う日のもとの宮居哉 何声
 芹薺鳥居をめくる水の末 洗利
 籠ぬけや名こしの庭の宮雀 入楚

○幾暁-幾暁庵雲蝶(?~1756)。江戸中期の俳人。伊勢山田の人。別号に春波・安楽坊・星見庵等。各務支考・中川乙由に師事する。神職の出であるが出家し讚岐玄忠寺に入る。旅を好み九州各地を遍歴し美濃派の俳諧を広めた。金沢龍国寺で乙由十三回忌を営んだ後、法船寺明誉に師事。宝暦6年(1756)寂、63才。
○籠ぬけ(籠抜け)-飼い鳥として籠かごの中に飼われていたものが逃げ出すこと。また、その鳥。
○名こし(名越し・夏越し)-名越しの祓(はらえ)のこと。六月晦日に各神社で行われる祓の行事。姓名・年齢を書いた形代かたしろを神社に納めたり、水に流したりし、あるいは、参詣者が茅の輪くぐりをして祓をうける。六月祓(みなづきのはらえ)。夏祓(なつばらえ)。夏越しの御禊。輪越しの祭。 [季] 夏。

 

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