十七世 西村残雨
文政元年十月十三日、下中之郷(宮町)に生まれた。父安延、母
中森氏、名安衡、通称六郎、初号六川、後ち残雨、葛垣の別号
があり、為田只青門人で一之木に住した。
弘化二年九月、五仲庵有節宗匠の「稲秋」の吟を発句とする
修巷、青松、之青等十五名唱和の大神宮奉納百韻「かみかせ帖」
には、六川の号にて入集し、安政六年秋、神境俳人歌仙には、
一之木渡辺小久保舎弟西村残雨とある。
前館主隆重没後、足代家の後見人、幸田氏より館号及び什物
一切を貰い受け、十七世を継承すと云う。(残雨自説)
明治三十二年「俳諧公園」三十六号誌に残雨老後の日常生活
を知る小文がある。
神風館主
第十七世神風館主西村残雨(山田一之木町住)は齢九九
に達し友来れば語り、来らざれば俳書に眼をさらし傍ら
茶道を乙女等に授け敢て名聞を求めず故に地方俳士の外
刺を通ずるもの甚だ稀なり云々
とあり、門人に河崎弄月、浜口青竹、近藤ゑん女等がある。
明治三十八年五月十二日没、八十八歳
墓所 大世古共同墓地
散るかぎり風の掃きゆく木の葉かな
なほ前記の如く、神風館号及び付属の什物は、残雨に至り
遂に足代家の所有を離れることになった。この間の経緯に就い
ては大正六年四月発行「雅人能友」誌及び、榊原頼輔氏著
「足代弘訓」に詳記せられて居るので省略する。