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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館十八世 奥山眉峰

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神風館十八世 奥山眉峰

十八世 奥山眉峰



弘化四年四月四日吹上町に生れた。父家憲(字叔章、通称中

書、号金陵、桃陰、閑窩、神田竹堂の弟、医、漢学、慶應二年
没)の次男、母福村氏、名家鮉、通称鯛五郎、後中書と改めた。
東京下谷にて医を開業したが、後ち帰郷吹上町に住した。郷土
の名家奥山桃雲の後継者である。



昭和二年十月発行「昭和俳家句集」に於ける自伝によると

 十七世神風館残雨老の請により明治三十六年三月、十八世
 を継続し同日残雨老宅にて立机披露す。師なく独立にて斯道
 を研究す。されど夜雪庵や老鼠堂在京中に屡々俳論を聞く。
 神都の故棋外、耕雨宗匠は縁家なり、又寄青氏に就て質
 し得る所多かりき。
 読書処質卓斎と云、煮茶処を桃雲庵と云、揮毫処を墨竹軒
 と云、業医処を杏花村舎と云、俳話室を神風館と云。
とあり、神風館継承に関して、大正六年四月「雅人能友」に
眉峰が
 …残雨と私が親交ある処から或日私に向て余も(残雨)段
 々高齢に及たが此館号を譲る門人もなく他にも人がない。
 伜は発句大嫌ひなれば君より人がない。是非君が継で呉れ
 と頼まれたが私は詩文や歌の如く発句は余りすかぬから確
 答をせず彼是歳月の過る内に世間が非常に発句流行の世と
 成た云々
と誌して居る。その後種々の事情があって館主となったが、こ
ゝで正直に告白して居る如く、眉峰は俳句よりも漢詩に趣味を
傾け俳壇への進出は華々しくなかった。また余技として墨竹を
善くした。



 昭和七年八月七日没、八十六歳。墓所 岩渕町一与坊

 碑面 奥山中書墓
 水飲てふみ読む人や梅の花
 竹婦人後にまはして蚊帳ひろし
 牽牛一輪奉つて古賢を慕ひけり
 身にあまる菊の薫りや恩賜杯 八十ニ叟
 三千尺白髪のひけり秋の声

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HN:
奥田△
性別:
非公開

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