三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。
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○かもし(かもじ)-加文字とも書く。髪文字の略。女性が日本髪を結うとき頭髪に補い添えるための髪。
○ひき鶴(引き鶴/引鶴)-春、北方へ帰って行く鶴。帰る鶴。 [季] 春。
神風館十一世 野笹寸大まとめ
・享保十一年(1726)出生、野笹氏(野篠)、本名秀雄、通称六右衛門、後ち魯久助、茗荷園と号した。田中中世古(本町)住、神楽職、御師の代官。
・寛政十年(1798、73歳)八月二日、神風館十世足代弘臣が没し、十月に神風館を継ぐ。(本文には76歳とある)
・享和初年(1801、76歳)、神風館号を木蓊に譲る。
・文化四年(1807、82歳)十月二十日没。
○逸漁-辻村逸漁(1741~1797)。河崎の廻漕問屋(運送業)、辻村家の三代目当主。俳人で、三浦樗良と親交があった。
○坡仄-野間坡仄(1724~1801)。伊勢妙見の人。樗良門の俳人。萬金丹本舗野間家の番頭で、その姓を称した。洗粉(化粧品)を家業とした。
○二曲-松貴文寿(1735~1804)。伊勢浦口の人。俳号夜雨亭二曲。芭蕉に私淑して奥の細道をたどった。中年に手足不随の病気になり、閑居して俳句に慰むこと三十余年、衆に推されて宗匠となり、夜雨亭の始祖となった。
○潦(にわたずみ)- 雨が降って地上にたまったり流れたりする水。
神風館十世 足代弘臣まとめ
・宝暦元年(1751)出生、通称勝大夫、町年寄役、宮後町住、篁亭と号した。
・安永四年(1775、25歳)六月、弘氏の句を立句として「俳諧門のすゝみ」を編集。
・安永五年(1776、26歳)、歳旦帳。
・天明四年(1784、34歳)か天明五年(1885)初、9世洗利死去。
・天明五年(1785、35歳)三月、神風館を嗣ぐ。記念集「華をはしめ」発刊。
・寛政九年(1797、47歳)、歳旦帳。
・寛政十年(1798、48歳)八月二日没。(『みもすそ』には49歳)。
○ゆふたすき(木綿襷)-木綿(ゆう)で作ったたすき。神事に奉仕するときに用いる。
(おわり)
○はつ鴉-元日、ことに早朝に鳴く、または見る烏。 [季] 新年。
○いへつと(家苞)-いえづと。わが家に持ち帰るみやげもの。
神風館九世 松尾洗利まとめ
・生年不明。大世古の人。名は政屋。通称は善五右衛門。号は無事庵。
・寛延二年(1749)幾暁の「百合野集」の俳句が初出。
・寛延三年(1750)の「蝉のから」の入集が二回目。
・安永四年(1775)四月、八世入楚が死去し、九世を継いだと思われる。
・天明四年(1884)自からの歳旦集「青帝帖」。
・天明四年(1884)か天明五年(1885)のはじめに死去。
○蝶夢(1732~1796)-五升庵蝶夢。江戸時代中期~後期の俳人、僧。享保17年生まれ。望月宋屋に俳諧をまなぶ。明和3年京都の浄土宗阿弥陀寺帰白院の住職を辞し、郊外の岡崎に小庵をむすぶ。松尾芭蕉を敬愛し、その顕彰事業につくし、「芭蕉翁発句集」「芭蕉翁絵詞伝」などをまとめた。寛政7年12月24日死去。64歳。京都出身。別号に泊庵。
○小祥忌-一周忌。
○たはふ-たばう(庇ふ/貯ふ)。大切にしまっておく。蓄える。
○ほからゝゝゝ(朗ら朗ら)-朝日がのぼろうとして明るくなるさま。
神風館八世 鈴木入楚まとめ
・元禄十五年(1702)、出生。大世古町住。本名直由。通称三郎兵衛または三大夫。号は藜翁、粒々斎。曽北、南利の門人で家業は平師職か代官。
・寛保三年(1743、42歳)、師の神風館4世、曽北が死去。あかざの月次を継ぐ。
・延享三年(1746、45歳)、梅路、温故同様交友のあった建部涼袋が来遊。
・宝暦八年(1758、57歳)、涼袋著「南北新話後編」に序文を寄せる。
・宝暦十年(1760、59歳)、温故宅で何声、樗良らと歌仙。
・宝暦十一年(1761、60歳)、神風館6世、温故死去。
・明和三年(1765、64歳)、阿波国人来雪の伊勢来遊記念集で「神風館入楚」。何声の存命中に神風館を継ぐ。
・明和五年(1768、67歳)、「備録」を編集。交友があった蝶夢など。
・明和五年(1768、67歳)、神風館7世、何声死去。
・安永四年(1775、74歳)4月5日没。、辞世吟「ほとときすいま居直りて聞ところ」。
・安永五年(1776)、入楚一周忌集「羽のしつく」。蝶夢など。
○大世古-現三重県伊勢市大世古。
○平師職-禰宜や年寄ではない一般の御師の家。
○文史-鈴木文史。入楚の子。
○兀山-はげ山。