八世 鈴木入楚(にっそ)
元禄十五年(1702)出生、本名直由、三郎兵衛また三大夫と称し大世
古町住、藜翁(あかざおう/れいおう)、粒々斎の号があった。曽北、南利の門人で家業
は平師職か代官であった。
曽北没後、その主宰して居た「あかざの月次」を襲ぎ、藜翁と号
し倦怠なく、社中に文史、夕吾、几理、総香、雨十、可子、巴
凌、浮石等三十余の連中を有して一俳諧道場たらしめた。
○大世古-現三重県伊勢市大世古。
○平師職-禰宜や年寄ではない一般の御師の家。
○文史-鈴木文史。入楚の子。
建部涼袋とは梅路、温故同様密接な交渉があり、延享三年(1746)の
来遊時には、秋至宅にて章司、温故、浮石らとこれを迎え、ま
た宝暦十年(1760)には、神風館温故宅にて浮石、何声、樗良と共に唱
和歌仙を成した。殊にその前々年の宝暦八年(1758)九月、涼袋著「南
北新話後編」に序文を寄せて居ることは、その交の深さを物語
るもので、また文筆に長じて居たことが知れる。
神風館を継承したのは、未だ何声の存世中で、明和三年(1765)卯月
阿波国人来雪の伊勢来遊記念集に
兀山に何やら着せて朧月 神風館 入楚
の句が見え、この年既に館主であった。
○兀山-はげ山。