忍者ブログ

三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館八世 鈴木入楚(2)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

神風館八世 鈴木入楚(2)

 


入楚は職業的関係からか、諸国人と風交が広かった。北は奥
州から南九州に亘った。それら風交の音信に書き添えられた句
を筆録し、また周辺の人々のも加えて、明和五年(1768)「備録」の集
を編した。そのうち蝶夢、阿誰、諸九尼、旧国、風律、蝶羅
有菊、民古、二日坊等著名家の顔が見え、殊にその序を京の蝶
夢に需めて居る点、相当交渉があったらしく、また安永五年(1776)入楚
の小祥忌集「羽のしつく」には
 此老蕉門の宿老にして年月あかざの月次というう事を絶ず興
 行ありしを今さらおもい出て
 ちからなや道のあかざの杖も折れ 花洛 蝶夢
と懐旧吟を寄せて弔霊して居ることからも推察し得る。蝶夢は
言う迄もなく、芭蕉研究の随一で、その数ある忠実な著によっ
て、芭蕉の真価を世に顕現した一大功労者であった。

○蝶夢(1732~1796)-五升庵蝶夢。江戸時代中期~後期の俳人、僧。享保17年生まれ。望月宋屋に俳諧をまなぶ。明和3年京都の浄土宗阿弥陀寺帰白院の住職を辞し、郊外の岡崎に小庵をむすぶ。松尾芭蕉を敬愛し、その顕彰事業につくし、「芭蕉翁発句集」「芭蕉翁絵詞伝」などをまとめた。寛政7年12月24日死去。64歳。京都出身。別号に泊庵。
○小祥忌-一周忌。

 

入楚の遺著には、此あかつき、あかざの月次、くれのあき、
百千鳥(仮)歳旦帳、ほとゝぎす(仮)、秋のすさび、備忘等があ
り、男文史また俳人であった。
 安永四年(1775)四月五日没、七十四歳、辞世吟「ほとときすいま居
直りて聞ところ」
 入楚一周忌集「羽のしつく」は、男文史の編集で、文史の序
文につぎ巻頭に「神風館八世藜翁入楚四齢肖像」と辞世吟
を掲げ、あかざの月次会の由来を述べ、九世洗利の「ほとときす
羽に雫をかけて啼」を発句とする各人の懐旧唱和吟をはじめ、
蝶夢、重厚、風律、旧国、蓼太、島明、百明、乙艸、一鼠、滄波、
斗墨、民古等諸国の著名家及び山田の交友の懐旧吟を収録し、
巻末に洗利の神風館由来記があり、伊勢俳書中貴重なる資料を
提供するものとして高く評価されて居る。
 墓所 二俣天神丘墓地
 碑面 大内人秦直由墓
 病中吟 そこ爰と残る桜をおもひけり(刻句)

 梅か香に垣解たき隣かな 真蹟
 ゆふたちや堤のはらを押て行 同
 大名の魂入れて牡丹哉 同
 籠ぬけや名こしの庭の宮雀 (宝暦二年大神宮奉納)
 松原をぬけて蓋取花野哉 (宝暦五年梅のしつく)
 太箸やちからを入る指の皺 (宝暦十三年何声歳旦)
 七十五日目をたはふたり花盛り (明和五年藁の台)
 ほからゝゝゝ老の笑ひやほとゝきす(明和七年ほとときす)
(附記)現在宮町の鈴木半三郎家はその裔である。

○たはふ-たばう(庇ふ/貯ふ)。大切にしまっておく。蓄える。
○ほからゝゝゝ(朗ら朗ら)-朝日がのぼろうとして明るくなるさま。

 


神風館八世 鈴木入楚まとめ

・元禄十五年(1702)、出生。大世古町住。本名直由。通称三郎兵衛または三大夫。号は藜翁、粒々斎。曽北、南利の門人で家業は平師職か代官。
・寛保三年(1743、42歳)、師の神風館4世、曽北が死去。あかざの月次を継ぐ。
・延享三年(1746、45歳)、梅路、温故同様交友のあった建部涼袋が来遊。
・宝暦八年(1758、57歳)、涼袋著「南北新話後編」に序文を寄せる。
・宝暦十年(1760、59歳)、温故宅で何声、樗良らと歌仙。
・宝暦十一年(1761、60歳)、神風館6世、温故死去。
・明和三年(1765、64歳)、阿波国人来雪の伊勢来遊記念集で「神風館入楚」。何声の存命中に神風館を継ぐ。
・明和五年(1768、67歳)、「備録」を編集。交友があった蝶夢など。
・明和五年(1768、67歳)、神風館7世、何声死去。
・安永四年(1775、74歳)4月5日没。、辞世吟「ほとときすいま居直りて聞ところ」。
・安永五年(1776)、入楚一周忌集「羽のしつく」。蝶夢など。

 

 

PR

コメント

プロフィール

HN:
奥田△
性別:
非公開

P R