三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。
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○逸漁-辻村逸漁(1741~1797)。河崎の廻漕問屋(運送業)、辻村家の三代目当主。俳人で、三浦樗良と親交があった。
○坡仄-野間坡仄(1724~1801)。伊勢妙見の人。樗良門の俳人。萬金丹本舗野間家の番頭で、その姓を称した。洗粉(化粧品)を家業とした。
○二曲-松貴文寿(1735~1804)。伊勢浦口の人。俳号夜雨亭二曲。芭蕉に私淑して奥の細道をたどった。中年に手足不随の病気になり、閑居して俳句に慰むこと三十余年、衆に推されて宗匠となり、夜雨亭の始祖となった。
○潦(にわたずみ)- 雨が降って地上にたまったり流れたりする水。
神風館十世 足代弘臣まとめ
・宝暦元年(1751)出生、通称勝大夫、町年寄役、宮後町住、篁亭と号した。
・安永四年(1775、25歳)六月、弘氏の句を立句として「俳諧門のすゝみ」を編集。
・安永五年(1776、26歳)、歳旦帳。
・天明四年(1784、34歳)か天明五年(1885)初、9世洗利死去。
・天明五年(1785、35歳)三月、神風館を嗣ぐ。記念集「華をはしめ」発刊。
・寛政九年(1797、47歳)、歳旦帳。
・寛政十年(1798、48歳)八月二日没。(『みもすそ』には49歳)。