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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館三世 岩田涼菟(5)

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神風館三世 岩田涼菟(5)

 

まとめは(6)に


宝永初年(1704)、豊後国来縄(くなわ)の高田に至った時、図らずも浦田芦本とめぐり合い、夢かと欣(よろこ)んだ。その時の情景は芦本の句文にまざまざとよみ取られる。
 つとむる事ありてふんこの国来縄の郷高田の旅宿に泊る夕
 暮おもはすも我国の涼菟行脚袋に中津の宇桂、大橋の李門
 両子を伴ひて爰に来る珍しさに嬉しさを重ねてしはしは
 互のことはさへなかりけり
 旅館 吹よせて淀む所や浦千鳥 芦本

○浦田蘆本(1664~1736)山田の俳人。岩田涼菟の門下。編著に師の追善集「其暁(そのあかつき)」のほか,「第四伊勢墨なをし」などがある。通称は藤兵衛。別号に葎門亭,東向斎。
○行脚袋-頭陀袋(ずだぶくろ)?


遠く離れた旅の空で、郷里の人、しかも風交の親しさをもつ友と会した嬉しさが言外に溢れて居る。芦本も御師の代官として旦廻(=檀廻)に来て居たらしい。この時の涼菟の心状も同様であった。

 我門の芦本高田の里に有て道むかへの人を走したり
 先嬉しくうち出ぬあるじの里木馬を出したり
 馬かりて燕一把やつり合せ 涼菟
 高田の旅泊芦本にあひてたがひの珍しさをかたりあかしぬ
 合点して出たれど寒し単錦

○木馬(きうま、きんま)-雪のない地方の山で使われる木材搬出用のそり。


享保二年(1717)に入って病いを得、再び起つこと能はず遂に四月二十八日「合点ぢや其暁のほととぎす」の辞世をのこして瞑目した。歳五十九(流布本に五十七とあるは誤)

「何鳥ぞ此跡鳴ぞほとゝぎす 乙由」「紫陽花の香り果たる浮世哉 曽北」の悼句があり、この年、追善集「そのあかつき」が編せられた。

著書に皮籠摺、山中集、三疋猿、中やどり、潮とろみ、七五月雨、はたか島、同跡追等がある。

涼菟句集には、芦本、何乎編「それも応」五瓢庵八菊「簗普請」梨一編涼菟句集、黒部杜什校訂「それも応」等々その他があり、昭和五年発行安井小洒編、蕉門名家句集第十二輯所収の涼菟句集が、最も完成されたものと思う。

○梨一-高橋梨一(1714~1783)。俳人。代官所役人をつとめる。佐久間柳居に俳諧をまなび、「奥細道菅菰(すがごも)抄」をあらわす。のち越前(福井県)丸岡藩にまねかれた。武蔵児玉郡(埼玉県)出身。本姓は関。名は高啓、干啓。字(あざな)は子明。別号に蓑笠(さりゅう)庵。著作に「もとの清水」など。


涼菟の碑は、大世古墓地入口に現存、自然石高さ二尺八寸位

 碑面 団友斎涼菟翁
 碑背 維時享 保貳、岩田(以下欠損)
 月雪に名を更科や我こゝろ (真蹟)
 城山や飛島かけて鰹ふね 同
 元禄とらのとし五月神社を出舟して二見の朝日はなやか也
 かたびらや船て髪結ふ玉くしげ 同
 うらゝかな物こそ見ゆれ海の底(元禄四年元禄百人一句)
 青き葉をりんと残して柚味噌哉(元禄九年韻塞)
 あら寒し阿漕\/と啼烏(元禄十四年砂燕集)
 寝る人はねさせて月の晴れにけり(元禄十六年入日記)
 合掌て湯に入痩や秋の月(宝永元年山中集)
〔参考〕関係古俳書、蕉門名家句集(安井小洒)涼菟年表(鈴木重雅)竹内琴涯史稿、日本文学大辞典、伊勢俳諧年表-同俳家墳墓録(甫石)

(おわり)

 

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