三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。
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○枯尾花-俳諧集。其角編の芭蕉追善集。1694年(元禄7)刊。2巻。上巻は其角の《芭蕉翁終焉記》、および元禄7年10月18日に義仲寺で興行された、〈なきがらを笠に隠すや枯尾花〉を発句とした其角と大津、膳所(ぜぜ)、京都、大坂、伊賀の連衆による追善の俳諧百韻、それに上記諸国の人々の追悼発句から成る。下巻は嵐雪の墓参文、江戸における嵐雪、杉風(さんぷう)、湖春らによる追悼歌仙4巻、丸山量阿弥亭における初月忌百韻、義仲寺における六七日追悼歌仙などを収める。
○谷木因(1646~1725)-俳人。家は美濃(岐阜県)大垣の船問屋。北村季吟の門から談林風にうつり、松尾芭蕉の感化をうけて後年蕉門にはいった。80歳没。通称は九太夫。別号に白桜下、観水軒。著作に「桜下文集」など。
○連衆-連歌・俳諧の座に列する人々。
○竹内十丈(?~1723)-俳人。越中(富山県)の人。元禄9年伊勢、京都、大坂、粟津、彦根などの松尾芭蕉の高弟をたずねる。その折の句を上巻に、文通の句を下巻におさめて、14年「射水(いみず)川」を刊行した。享保8年4月2日死去。別号に間々軒。
○ダンユウ(団友)-涼菟の号。
○続猿蓑-俳諧撰集。二冊。沾圃(せんぽ)ら編。1698年(元禄11)刊。「俳諧七部集」の第七集。上巻は連句集で、「八九間空で雨降る柳かな」を立句とする芭蕉他四人の歌仙一巻をはじめとして歌仙五巻を収録。下巻は発句集で、四季部類に釈教・旅の部を加えたもの。本書は、芭蕉没後の刊行で、跋文でも明らかなように未定稿の要素が多く、支考偽撰説も出されたが、残された書簡などから、芭蕉の後見になることは疑問の余地がない。全体に『炭俵』の延長線上にあり、芭蕉晩年の「かるみ」をよく示している。
○白陀羅尼-俳諧選集。1巻。支考編。元禄十七年(1704)自序。当代美濃派の「俗談平話」の俳風を示そうとして編んだ集。
○美濃派-江戸時代の俳諧流派。芭蕉門の各務支考一派の称。その称は、支考の生国とおもな勢力圏が美濃であったことによる。獅子門ともいう。芭蕉晩年の"かるみ"や平明な日常的世界を重視し、俗談平話を唱えた。平俗な俳風をよしとしたので、俳諧を広く普及させたが、質的低下をもまねいた。岩田涼菟、麦林舎乙由の伊勢派と俳風が近似するところから、他派からは両派一括して田舎蕉門・支麦の徒と呼ばれた。