『耕雨遺稿』俳句の題だけ続き。
・神花吟望
・岩内石観音
※三重県松阪市岩内町(ようちちょう)にある浄土宗知恩院派の仏教寺院。妙法山瑞巌寺。
・永機老の三十年振に草扉を叩かれしかば
※穂積永機。江戸の俳人。7代目其角堂。老鼠堂。生没年は文政6年(1823)~明治37年(1904)。82歳。耕雨より12歳年長。
・花月楼夜宴
※花月楼は古市の旅館、麻吉のこと。
・安東天神
※不明。三重県津市に安東町という地名はあるが。
・軽快
・二見にて
・数千本の御用を宮中に曳初めけるをよろこびて
・■るが如く泉声腸を洗ふ■仙境にあるが如し
・棋を囲むものあり、書画に筆を揮ふ者あり、僧と話すものあり、瓢酒を楽むものあり、一日の閑遊、仙家の如し
・皇后陛下の神宮御参拝を拝し奉りて
・一年の光景は首夏にあり
・鈴鹿
・いまだ白頭の齢にあらねば
・酔雨老を与可楼に伴うて
※吉原酔雨は名古屋の俳人。父吉原黄山や伊東而后に学ぶ。跋を書いた矢野二道の先生。生没年は文政2年(1819)~明治26年(1893)。75歳。耕雨より16歳年長。 与可楼は…最初に京都、中島棕隠の銅駝余霞楼(どうだよかろう)が思い浮かぶが、時代や場所が違うだろう。ネットで調べると、三重県志摩郡的矢村字渡鹿野の遊郭に与可楼という遊女屋があったというが。さらにネットの情報で、大正5年に能楽が八日市場与可楼で催されたらしいデータがある。八日市場は伊勢かどうかはわからないが、耕雨の住所なので、この与可楼が正解かもしれない。
・宮川にて
・宮川落橋
※ネット情報によれば、明治39年に暴風雨で宮川に架けられた宮川橋(伊勢市)、船木橋(大台町)、馬瀬橋(伊勢市)をはじめ、ほとんどの橋が流され、明治年間最大の被害とったとある。その時の事か。
・はし立
・二見
・宮川散歩
・宮川
・有惑
・八幡山にて
※三重県伊勢市岡本に八幡山公園というのがあるが、このあたり?
・夢の如しといへど
・祝凱旋
・岩内にて
・浦頭暁望
・老懐
・籠神社
※籠神社(このじんじゃ)は、京都府宮津市にある神社。元伊勢の一社であり、「元伊勢籠神社」とも称する。元伊勢とは、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(内宮・外宮)が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所。
・他門の句は彩色の如く、我門の句は墨絵の如くすべしと、祖翁の金言、宜なる哉。万代をして我等の毛髪を寒からしむ。此道の研究琢磨、豈寸時もゆるがせにすべからず。けふや冬籠の高吟に脇ものして例の祭式をいとなみ、像前に黙拝す。
・守武霊神のあとにて
・慈母の身まかりけるに
・洛の偶居に思はず日をかさねて
・年来奉職せし神宮を辞し帰りて是より閑散を楽しむ事に次す
・粟津本廟時雨会
※粟津本廟は義仲寺の芭蕉廟のこと。
・数代神職の家を継で
以上、残りは俳諧連歌。