三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。
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今回は『耕雨遺稿』を。ある意味これを手に入れたので大主耕雨のことを調べる気になったともいえる。まずは耕雨のことが書かれた序文と跋文の解読から。うねうねした字で書かれてるので自身はない。そのあと本文。いろいろな物について句が詠まれているので、読めばいくらか参考になるかも。
序を書いたのは姫路の俳人、瀬川露城。改行は元本通り。改ページは一行空け。
ちょっとわからないところあるけど、思ったよりは読めた。気がする。
ただし新しい情報はあまりない。
○「神職の家にして、叟此職に在こと四十餘年」とある。『夜話』より嘉永三年(1850)、16歳ごろに神職についている。『続先賢伝』から明治24年(1891)、57歳ごろに退職したことがわかる。その間41、2年。「四十餘年」は合致する。『夜話』に明治4年一旦解職とあり、『続先賢伝』に明治14年から主典とあるが、これで明治4~14年の間も神職であることがわかる。ただしこの間の神宮内の役職は不明。元の家職である宮掌大内人か、それとも主典か、または他か。『続先賢伝』は明治14年から主典とあるが、『夜話』はすぐに主典になったような書き方がしてある。
まぁ何もなくても、例えばわざわざ序を書いているんだから、瀬川露城が耕雨と交友があったのがわかるし、本の最後に弟子の名前が列挙してあるので、人物関係はわかる。
全部終わったら、三重の人名事典を端から順番に見て耕雨の弟子や交友のあった人物をひろっていきいこうかと。