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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

大主耕雨004

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大主耕雨004


辞典とネットの情報を。


大主耕雨 おおぬしこうう俳人。天保六(1830)~大正四(1915)、八十一歳<『続三重先賢伝』>。別号、為豊園。伊勢の旧派を代表する俳人の一人で、多くの門人を擁した。編著『あきの声』『時雨集』ほか。[句]「海遠く花にさす日のやゝ遅し」<『俳諧日新月報』8>

(『俳文学大事典』角川学芸出版、平成20年)

○「旧派」など、歴史的な位置づけは良く知らないのでとりあえず置いておいて、編著の『あきの声』『時雨集』が新情報。



 

ネット情報


○明治期の小説(人情本?)に「耕雨小史評点」というのがいくつか見受けられる。ジャンルも全然違うし、恐らく別人だが、念のため書いておく。
○伊勢市楠部町松尾山観音寺に句碑があるとのこと。位置的には内宮から直線距離で東へ7、800mほど。句碑がある理由はよくわからない。句は「夕暮を譲りあひけり花と水」 で、『人物誌』に掲載されている。建立は大正5年5月 。耕雨は大正4年10月7日没なので、死後7か月後のもの。
○跡見学園女子大学図書館の画像データベースに『明治新撰 俳諧百人一首』(晋雪庵柳崖編、老鼠堂永機校、明治33年)に大主耕雨の挿絵と俳句がある。俳句は「為豊園耕雨/かけうつす花にはい鳬水けふり」
○俳諧雑誌『翁の友』に関する論文がある(「『俳諧翁の友』の実態と地域資料としての位置づけ」木下朋美、綿抜豊昭)。この雑誌に大主耕雨が俳諧宗匠として名前がある。『翁の友』は明治20年代に発行されていた雑誌で、おそらく明治26年7月の60号が最終号。下総国香取郡香取村(現千葉県香取市)の高岡鶴松編集、翁友社発行。この雑誌に投稿された数(51号~60号)は62地区中「伊勢」は7位で、かなりの投稿がある。伊勢で一番投稿数が多かったのは「晴浦」という号の投稿者(不詳)。
○「鳴弦文庫(千葉県の近代俳句の資料を収集している私設図書館)蔵 明治期俳書目録」にいくつか大主耕雨の名前がある。
・明治28年『掌中明治百歌仙』為豊園耕雨序。千葉正文堂発行。
・明治36年序『今二百員・今二百韻』大主耕雨序。大主耕雨発行。
・明治42年『俳誌松の風1号・2号』為豊園耕雨・一点庵椿堂選。一志郡八知村松風会発行。
・参考までに。「耕雨」の号で、千葉に服部耕雨という人がいる。他に指頭庵、香樹園という号がある。間違い防止のため。
○「秋田県公文書館所蔵 落穂文庫目録」に会田素山宛の書簡が14通ある。会田素山は秋田藩士で俳人。生没年は文政2年(1819)~明治25年(1892)。耕雨より16歳年長。


 

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