三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。
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『松杉亭夜話』(昭和9年)に大主耕雨の記事がいくかあるのでそれを。ちなみにこの本の著者の松木時彦は、神官、国学者、歌人で、『人物誌』にも項があります。
では、本文を以下に。誤植はそのままにしてあります。
○耕雨の父、大主鶴郊の名前が「光貴」(みつたか?)であることがわかる。
○「月夜見宮」=外宮となぜか勘違いしていたが、外宮の別宮だった。外宮の北、伊勢市宮後にある。
○嘉永三年(1850)6月(16歳ぐらい)に外宮別宮月夜見宮物忌職正六位、宮掌大内人を兼ねる。「物忌職」は「伊勢神宮をはじめとして香取・鹿島・春日(かすが)・賀茂などの大社に仕えた童男・童女」だろうか。やっぱりよくわからない。前回の宮掌で大内人はだいたい意味的にはあっていた。
○前回までの内容とあわせると、明治4年に一旦解職、明治14年に正五位主典になり、10年勤める、ったということになるが…明治4~明治14年の間は?神宮の他の職についていたのか、一旦やめていたのか。
○『人物誌』と同じく「梅慰舎梅通」と同じ間違いをしている(正しくは「麦慰舎」)。どちらかがどちらかを参考にしたと思われる。
○資産家であったことが新たにわかる。
次回は『大主遺稿』から。序と跋に門人が耕雨について書いた文があるので、それを中心に。ちなみにくずし字なので、何回かに分けて読みます。字がへにょへにょしてるので、解読難航予定。
あ、その前にネットや俳文学大事典の記事も参考にしてみる。