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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館十五世 為田只青

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神風館十五世 為田只青

十五世 為田只青

岩渕町師職小林対鴎の三男、出でて八日市場の為田家を嗣い
だ。字子徳、本名家明、通称兵大夫、之青(初号)、只青(中期)
華明(又は花明、晩年)、夢々翁、知竹斎、抱素斎の号があり、
書を久世戸の川上葆に就き熟達し、俳諧を京の五仲庵有節に
学んだ。富沢青之、高部移水、山原得水、溝口篤志、山田千束、
白井素光、中瀬竹鶯、上田しか女、磯部百鱗、山崎石斎等俳、
書両道の門人が非常に多かった。
八日市場、尾上、岡本等に居住し、晩年長男(秋斎、茁斎門
画家)旧業、住家の三つに離れたので、名を後三と改めた
(竹鶯随筆)。



神風館襲号年時は判明せぬが、嘉永四辛亥の春、神風館慶春

の一枚摺句集に(筆はしめ神風館)
 うくひすやものに紛らぬ朝こゝろ 只青
の吟に他松青、石鼎、只方、青涯、松柏、梅西等の新春吟があ
り、既に館主であったことが窺われ、明治九年没迄相当長期間
館主であった。岩渕町の中西青松(松青)は只青の兄である。
 明治九年四月十四日没、六十五歳。墓所 浦口町虚空蔵谷
 碑面 為田後三墓
遺句集に、門人仁風盧山原得水が明治十五年仲春謄写の
『亡師花明叟遺金』一冊がある。
 水青し動きみえぬも春の色
 かけ香や見かえす顔を見かくされ
 暗しとてよる燈は秋の行ひかり
 往来へ花の皆むぐ木槿かな
 鴨なくや美くし過る空の色



只青の晩年は不遇であったが、有力な門人に恵まれて、没後

の追祭はその人々によって懇に営まれた。
明治九年六月四日、七七日忌には、門人喜田真也、小島愛水、
山田千束、山原暉水、高部移水等によって『報恩帖』が成り、
十年の秋には、相可の天照山法泉寺庭に、養生社中によって、
「たゝすめは華ならぬ方なかりけり」の句碑が建立せられ、ま
た明治十八年三月、十年祭には、門人移水等によって、岡本町
神風講社庭に夢々翁碑「何処あてとなく花に出て日はたちぬ」の碑
が建設せられて、記念句集『加多美能花香』が編まれた。師の
遺徳を敬慕し、その御儀に報ゆる美しい催しであり、故人の人格、
徳望の程が察知せれる。

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