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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館十二世 丸井木蓊

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神風館十二世 丸井木蓊



十二世 丸井木蓊

西村三吉の男、初称金右衛門、出てゝ大江氏を称した。後ち
丸井家を嗣いだが故あって複姓した。通称清大夫、柿山荘と号
し宮後町(一説に八日市場)に住した。
(注)文化二年(1805)十月頃未だ丸井姓の文献がある。しかし印章
に「江子木蓊」を用いているのは大江氏を表したもののよ
うである。
なお流布本に拠ると、井村伝大夫と称したと伝えて居るが、
その原拠を知り得ない。同家は安永二年(1773)の「師職伊呂波鑑」に
見ると、岡本町に在った御師で、後年足代弘訓門人の千町が出
て居る。木蓊と同家との関係に就き諸賢の示教を仰ぎ度い。

 

文化四年(1807)二月二十九日没、六十三歳。
寸大は神風館主たること五年にして、生前の享和初年(1801)の頃、
木蓊に館号を譲って居り、而して木蓊は寸大より約半年前に没
したことを知るのである。
享和元年(1801)秋、伊賀住竹人の編「画兄弟」に神風館寸大の句が
入集し、翌二年(1802)孟春野村左涯の春帖「春草紙」に「鶯の梅踏こ
ほす高音かな」同年丘高の春帖「はるのこと」に「夕月や里は
霞の浅黄いろ」の神風館木蓊の句が入集して居ることによって
継号の消息が窺われる。
 音なくはしらし夜の間の初しぐれ (真蹟)
 八専(はっせん)の雲の中行時雨かな 同
 寒き迄澄きる月の今宵哉 (享和二年守武祠句集)
 初霞嶺にきのふの雲のあと (享和三年吏舡歳旦)
 明て降る雪をよし野の花の春 (享和四年木蓊歳旦)
 年の夜や闇の中なる笑ひこゑ (享和四年木蓊歳旦)

○八専-日の干支が壬子(甲子から数えて49番目)から癸亥(同60番目)の間の12日間の中に干、支ともに同じ五行となるものが壬子、甲寅、乙卯、丁巳、己未、庚申、辛酉、癸亥と8日あるため八専と総称されている。
重なる日は全部で12日あるが、この期間に集中している。逆にその期間には同気の重ならない4日を「八専の間日(まび)」と言う。この間日を除く八専の日は吉はますます吉となり、凶はますます凶となるとされた。


 

◎木蓊の没享年に就いて

現在流布本の総てが、木蓊の没年を文化十一年正月二日、
六十六歳と伝えて居る。その根拠がいづれにあるか知らないが
この時代の俳集を通覧すると、文化三年杉木吏舡の歳旦帳以降
木蓊の句の所見なく、また文化九年丘高の「十三夜」に
 神風館は寛文のむかしより文化のはじめまで十二世とつき
 ゝゝつたへしかいかなれはしはらく中たへて足代家にあつ
 かりたまひぬ云々
とあり、また同書に角州が
 百余歳連綿して木蓊とまで栄へしかいかなれはしはらく中
 絶てしを云々
とある処から、従来の文化十一年没説に、疑惑を抱くこと多年
であった。
ところが先頃、大主耕雨の忘備「几右雑記」を見るに及んで
疑点が氷解した。明治三十七年宗匠が一之木墓地に於て、木蓊
の墓碑を発見、その碑誌を写して居る。茲に宗匠の筆労に敬意
を払ひつゝ、未見の方々の参考までに転録してみる。
 神風館木蓊、碑面、高一尺六七寸ノ小碑也
 翁姓大江名匡室(宝)字玉斗西村三吉男也初称金右衛門有
 故嗣丸井氏家後復本姓号柿山荘木蓊性風流閑雅滑稽文辞善
 俳諧連歌社友請神風館十二世嗣主焉 文化四年卯年二月二
 十九日没享年六十三 客歳妻光没葬隠山
 右ノ碑ハ越坂墓地入口釈迦堂ノ前西北ノ隅ニ有テ今ヨリ五
 六年前見受ケシ処其後形跡ナシ今年今日又前ノ処ヨリハ七
 八間西北町裏ニテ通行ノ際発見シ写来
 明治三十七年九月三十日
(附記)右碑記に拠って、木蓊の妻は文化三年に先没したこ
とを知るのであるが、同文中に列ねて誌されて居る事情か
ら考察すると、両者の没が相隔りなかったことと推察され
る。木蓊の交友寸大悼句に
 木蓊子の婦人を葬るとき
 亡き人のうしろ姿やかつけ綿 寸大
の短冊が現存して居る。被け綿は往時、陰暦十二月十九日
から廿一日迄、宮中に行われた御仏名の法会に、導師衆僧
に賜った綿の謂で、極月の宗教の部に季題として存して居
る。それで大体その没期が想像され、それより二ヶ月後に
木蓊が相ついで没したことを知るのである。尤も正月中旬
に行われた男踏歌(あられはしり)にも、その舞人に被け
綿を給った例があるが、この悼句の場合は御仏名のそれで
あると考えられる。



 

神風館十二世 丸井木蓊まとめ

・延享二年(1745)、出生(逆算)。西村氏に生まれる。大江氏を称し、丸井家を継いだが、後大江氏に復した。初称金右衛門、通称清大夫、号は柿山荘。
・享和初年(1801、57歳)、寸大から神風館号を嗣ぐ。
・文化四年(1807、63歳)二月二十九日没。
・文化四年(1807)十月二十日、寸大没。82歳。

 

 

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