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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館一世 足代弘氏(2)

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神風館一世 足代弘氏(2)

初代は次の(3)で終わりです。正直なところ、始めの方の代は全然市場には品物が出てこないので、さらっと行きたいところです。一世から十ニ世あたりまで、有名な三世岩田涼菟を除き、品物どころか名前すらあんまり聞いたことない人ばかりだったりします。品物が出てくるのは13世笹丘高あたりからです。


弘氏は当時俳壇を風靡(ふうび)して居た貞門に慊(あきた)らず、高向光如、中田心友、竜熙快、浦田正相、笠井正尚、為田常行、田村勝延らと謀って、談林調を導入して清新な作風を鼓吹し、郷土俳壇に一異彩を放った。「伊勢の通し駕」「伊勢杉のむら立」等は、その結社の代表撰集であった。これらの集にみる発句の一二を挙げてその風調を示すと
(俳句略)
思い切っての奇想な飛躍振であった。


延宝時代は彼の活躍期で延宝三年(1675)重徳の「新続独吟集」、同年高政の「絵合」、同四年(1676)の汲浅の「渡奉公」、同八年(1680)黄誉の「白根草」、天和元年(1681)兼頼の「熱田宮雀」等々に入集して堂々たる一家を示した。

○重徳-寺田重徳(じゅうとく)(生没年不詳)。江戸時代前期の俳人。高瀬梅盛一門。京都寺町で俳書の出版業をいとなみ、「俳諧独吟集」「俳諧塵塚」などを編集、出版した。京都出身。通称は与平次。別号に蘭秀子。屋号は菱屋、俳書堂。
○高政-菅野谷高政(すがのやかたまさ)(生没年不詳)。江戸時代前期の俳人。京都の人。西山宗因にまなび、京都談林派の中心人物となる。延宝7年(1679)「中庸姿(つねのすがた)」をあらわしたが、貞門の中島随流にその新奇な俳風を批判され、貞門と談林の間に論争をひきおこした。通称は孫右衛門。別号に惣本寺、伴天連社。編著に「誹諧絵合」、著作に「是天道(これてんどう)」など。
○黄誉の「白根草」-ネットには神戸友琴編纂とある。黄誉は友琴の別号?
神戸友琴(1633~1706)は江戸時代前期の俳人。寛永10年生まれ。北村季吟にまなぶ。生地の京都から加賀金沢にうつり、和菓子商をいとなむかたわら俳諧をおしえ、加賀俳壇に重きをなした。通称は武兵衛。別号に幽琴、幽吟、山茶花、識趣斎。編著に「白根草」「金沢五吟」「色杉原」など。


固より山田の名門、檜垣家の出であり、神職として相当の学を修め、古典文芸に意を染めていたらしく、その遺吟をみると
 木からしにふきあわすめり炬燵の火
 申さぬか雪まちとをに有し松
源語(※源氏物語)、古今集あたりの古歌取りであろう。また窓月兄の珍蔵、神風館伝来の短冊に
 水海月沢辺の蛍かけよりか
があり、新千載集よりの取材であろうが、直接には謡曲「葵上」の詞草を捉え来たって、俳諧化したことが頷(うなず)かれる。

○木からしに~-『源氏物語』第二帖帚木の和歌「木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべき言の葉ぞなき」を踏まえる。意味は、木枯らしの音に吹き合すような炬燵の火が音をたてている、といった感じか。
○申さぬか~-『古今和歌集』271大江千里の歌「うへし時花まちとをにありし菊うつろふ秋にあはんとや見し」を踏まえる。「まちとおに」は、待ち遠しくの意。意味は、何も言わないが雪を待ち遠しくしているように見える松である、といった感じか。
○水海月~-『新千載集』後宇多院「夜光る玉とぞ見ゆる水くらき芦辺のなみにまじる蛍は」、またはその歌を本とする謡曲「葵上」「暗き沢辺の、蛍の影よりも、光る君とぞ契らん」を踏まえる。意味は、沢辺の蛍を見ていると、その光に照らされてミズクラゲがあらわれた、といった感じか。


謡曲を俳諧に取り入れたのは、貞門にも窺(うかが)われるが、特に宗因の一派に著(いちじる)しかった。正に「謡は俳諧の源氏」であり、当時謡曲の民衆化の反映であった。尤もそうした例はこの時に始まったのではなく、既に守武千句に先蹤(せんしょう)が見られ、ただその取扱い方が異っていたのみである。

 

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