三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。
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※きちんと決めてないので、変更のあるたびにこの記事の内容も改正していきます。
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ブログ概要
このブログは三重県の文化のことについて書いていきます。
特に現在の伊勢、主に外宮圏内(山田)の文化についてが多くなると思います。
漢詩・漢文については別にブログがありますのでそちらで。
個人的な勉強の、モチベーション持続用で、自己満足です。
具体的なこともある程度は決めています。変更もたくさんあると思いますが。
予定は以下。
・大主耕雨(伊勢の幕末明治期の俳人)(済み)
・神風館(江戸初期~最近の俳人。20世くらい続く)
・徳田椿堂(江戸後期の俳人)
・浜田椿堂(明治~昭和の俳人)
・古市遊郭について書いた洒落本
・足代弘訓(江戸後期の神官・国学者)
基準は、伊勢の人物で、あまり知られておらず、交友関係の多い人。
過去のあまりメジャーではない伊勢、特に山田の文化を知るのが目的です。
基準の理由は交流が多ければ資料や美術品なども多く、調べやすい、勉強になりやすいからです。
俳人が多いのはたまたまです。私は俳句にはうといです。
古市については、遊郭に興味があり、古市に関して書かれた洒落本が4作品ぐらい確かあったのを思い出したからです。
調べるといってもあちこち探し回って一次資料に当たるとか、そういう研究的なものじゃなく、主に手元にある出版物を読むだけです。あしからず。
順番は、多分上記箇条書きの上から順に。資料の少ないもの→多いもの順。
徳田椿堂なんかはほとんど史料とかなかったはず。
逆に足代弘訓は大正とかに出版されたそこそこ厚く、難解な本があるので、それを解読(笑)するだけでも時間がかかりそう。
以上。
変更とかあればまた修正します。
入力はしてあったんですが長らく投稿さぼってました。
「みもすそ」に載っている神風館はは18世まで。
19世藤波窓月、20世藤波孝堂(政治家の藤波孝生)で最後となります。
神風館の短冊もいくつかあり、みもすそにはさらっと書いてある為田只青の作品がたくさんあるのでそこらへんいつかは調べようかと思いますが、今回は中断。
この後は足代弘訓のことをぼちぼち調べたいなと思います。
具体的にはみもすその神風館16、17世にもでてきた榊原頼輔氏著「足代弘訓」を読んでいこうかと。
だいぶ難解な本なので、ちょっとづつ。
とりあえず読みながら入力だけにします。
語釈やまとめが面倒で進まなくなってきたので(笑)。
○角鹿斎一鼠(1730~1782)-大阪の墨師で受領号(江戸時代、優秀であると認められた職人や芸人が、国名を付した官名を名のることを許されたこと。)は井上出雲掾。俳諧は建部涼袋門。越前国敦賀生。蕪村や樗良ら、中興諸家と交遊した。
○芭蕉の木槿塚を西行谷に~-「西行谷」は西行が晩年伊勢に住んだと言われる場所で、二見と宇治の2説あるが、この「木槿塚」は宇治の西行谷に建てられた。「木槿塚」は『野ざらし紀行』に載る「みちのへのむくげは馬にくはれけり」句の芭蕉真筆短冊を西行谷の松の下に埋め、その傍らに建てた碑のこと。この碑はその後、伊勢市辻久留町の威勝寺(明治3年廃寺になったので、もしくは威勝寺跡)に移され、昭和初期まではそこにあったが、のちに豊宮崎文庫跡に移された。
(おわり)
神風館六世 温故まとめ
姓氏・住所・生年不明。最初は麦林に師事。世木曽北の門人。梅路に兄事した。号は呉竹庵。
享保十三年(1728)4月、威勝寺での麦林門下の百時鳥会に参加。
寛保二年(1742)、乙由三年忌に句あり。
延享二年(1745)、芭蕉五十回忌に京都東山の沙羅双樹林寺(双林寺)で催された、彭城百川の記念句集『「八仙観墨なほし』に何声(7世)らと共に入集。
延享三年(1746)秋、江戸の白井鳥酔を伊勢岡本の妙法寺に迎える。
延享四年(1747)幾暁の「笈の塵」(序百川)に入集。
延享四年(1747)2月23日、梅路死去。
延享四年(1747)10月、双林寺で彭城百川によって剃髪。
寛延元年(1748)4月頃、伊勢へ帰って呉竹庵に入り、神風館をつぐ。
寛延二年(1749)7月、加賀の掘麦水を伊勢岡本の妙法寺に迎える。
寛延三年(1750)、梅路の碑を、既建の涼菟、曽北碑のそばに建立。
宝暦二年(1752)秋、大神宮奉納句集に何声らと句を奉納。
宝暦四年(1754)10月、師曽北の遺命を奉じて入楚らと芭蕉の木槿塚を西行谷に建立。
宝暦十一年(1761)九月二十日、死去。
〇竹部涼袋-竹部綾足(1719~1774)。江戸時代中期の国学者、俳人、画家。享保4年生まれ。20歳のとき郷里の陸奥弘前を出奔、ほとんど全国を遊歴。はじめ伊勢派の俳諧宗匠として活動、また長崎で絵画をまなび寒葉斎の画号で一家をなす。宝暦13年賀茂真淵に入門、俳諧をすてて19音の片歌説をとなえ、片歌道守の称号をえる。晩年「西山物語」「本朝水滸伝」などの読み本をあらわした。安永3年3月18日死去。56歳。本姓は喜多村。名は久域(ひさむら)。俳号は涼袋。
〇雪折-樹木が降り積もった雪の重さに耐え かねて折れること。季節:冬。