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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館五世 梅路(1)

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神風館五世 梅路(1)

 


五世 梅路(ばいじ)

伊藤又一(一説に中森氏)。河崎町住、漁商と伝えらる。河崎音頭の作者として有名である。延享四年(1747)二月二十三日没、享年不明。麦林、曽北門でその俳道に入った年は不明である。享保九年(1724)、各務支考編「三千化」に伊勢山田川崎連中として
 晩鐘にあふぬいて居るむくけ哉 乙由
を立句とする蓮二、己覧、茂秋、梅路、里可の表六句がみえ、この頃既に一流の作者であったと思考される。

○あふぬいて(あおぬいて)-仰向いて。


享保十年(1725)八月、一志郡香良洲(からす)神社、神遷奉納歌仙に麦林門下連中と唱和し、享保十三年(1728)、威勝寺の麦林門下の百時鳥連句大会に列席、この頃乙鳥舎の号があり、寛保二年(1742)冬、師曽北の病床に持して、俳諧の旧式口訣を承け、伊勢風俳壇の主柱と成った。

○香良洲神社-三重県津市香良洲町にある神社。町名の由来となった。天照大御神の妹神とされる稚日女命(わかひるめのみこと、天稚日女命とも)を祀る。このため「お伊勢詣りをして加良須に詣らぬは片参宮」と言われ、年中参拝者が絶えなかったという。また、社務は山田三方の上部家が預かっていた。



寛保三年(1718)には乙由三年忌「秋のかぜ」が、男麦浪によって編せられた。岸虎、兎士、如之、曽北などの直門の遺弟一百余人、諸国の交友、門人多数を収めた堂々たる集冊であった。梅路にとっては今更に感激の深きものがあり
 名月の跡照にさへ欠にけり 梅路
の手向吟を捧げた。

○麦浪-中川麦浪。乙由(麦林)の子。父の句集「麦林集」を刊行,「秋のかぜ」「梅のしづく」「夏の白根」などを編んだ。明和5年(1768)8月18日死去とつたえられる。別号に麦浪舎、杜十(什)、杜菱(とりょう)。


 

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