三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。
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の耕雨、久保田秋雨の項で触れた『視昔帖』の序文を読んでみる。
『視昔帖』は古美術品の展示目録のようなもので、最初に様々な古美術品や資料などの目録(品物名と出品者)があり、次にそのうちの一部の写真、その写真の裏に作者の経歴がある。その展示の20回をまとめたものである。
秋雨のところでは適当に書いたけど、この『視昔帖』の詳しいコンセプトはわかっていなかったりする。
説明も序文しかないので、それを。ただ、漢文なのです…。
大体の内容がわかればいいので、いいかげんに読み下して訳します。
序は会のはじまった大正四年に書かれたもの。作者は江川近情。多分最初の主催者。会が続く途中で亡くなっているけど。
では、下にあげてみる。
緬懐 神宮奠安我郷一千九百十九年山水秀霊地気所感多出人才詞賦翰墨貽範于後世者■更僕■而物移星換其姓名与其墨蹟往々湮滅不伝者有之豈不惜哉吾輩常慨潜徳幽光之不発揚乃茲集先哲遺著遺墨并其逸事以伝諸汪湖固無論詩文歌俳書之与画博採旁収努期靡遺漏願大方諸君子胠篋発櫝携各自所秘蔵以来会賛助吾輩之挙。
▼読み下し
緬懐(めんかい)す、神宮奠安(てんあん)すること一千九百十九年、山水秀霊にして地気感じる所、多くの人才、詞賦、翰墨は後世の者に貽範(いはん)す。■更に僕■して物は移り星は換わり、其の姓名は墨蹟とともに往々にして湮滅(いんめつ)して伝わらざる者、之有り。豈(あに)惜しまざらんや。吾輩は常に潜徳(せんとく)、幽光(ゆうこう)の発揚(はつよう)せざるを慨(なげ)く。乃(すなわ)ち茲(ここ)に先哲の遺著、遺墨并(ならび)に其の逸事を集め、以て諸汪湖(おうこ)を伝う。詩文、歌、俳書の画とともにするを論ずる無く博(ひろ)く採り旁(あまね)く収め、務めて遺漏靡(な)きを期す。願わくは大方の諸君子、篋(はこ)を胠(ひら)き櫝(ひつ)を発(ひら)き、各自秘蔵する所を携え、以って来会し、吾輩の挙を賛助せん。
▼語釈
○緬懐-遥かに思う。○奠安-おちつくこと。○秀霊-ひいでて霊妙な。○地気-その土地の気候。また、風土。○詞賦-詩歌。○翰墨-筆と墨。詩文を作ること。書画をかくこと。また、その出来上がったもの。○貽範-手本をのこす。○湮滅-あとかたもなく消えうせる。○幽光-かすかな光。転じて、人に知られない徳の輝きなどの形容。○発揚-すぐれたものが輝きあらわれる。また、あらわす。輝かす。○先哲-先賢。○汪-ひろい。大きい。「汪湖」は不明。○大方-大道。またはそれを備えた人。○篋-竹製のはこ。○櫝-ふたのあるはこ。ひつ。○賛助-わきから力を添えて助ける。○乙卯-大正四年。
▼訳
遥かに思う。神宮が鎮座すること1919年、それにより山水は霊妙たる土地の風土によって、多くの才能や詩歌、書画が産出し、それは後世へ残された手本となった。(不明)。しかし物は移り時間はながれ、それら先人の名は、その遺蹟とともに往々にして消え去って、今に伝わっていないものもある。なんと惜しいことだろうか。私は隠れていたり知られてない美徳が世にあらわれないのをなげかわしく思う。よってここに先賢の遺著、遺墨およびその逸事を集めることによって、それらを伝える。詩文、歌、俳書、画賛など種類を問わず、ひろく採用してすべて収め、つとめて遺漏がないようにするつもりである。そこで有徳の諸君子方にお願いである。箱をひらき、櫃をあけ、各自秘蔵の品物を持って来会し、私の行動を助けてはくれないだろうか。
こんな感じ。
これでこの本のコンセプトがわかる。神宮の鎮座する場所、ということで、扱うのは(現在の)伊勢の古物品。
また「集逸事」など、先賢の事跡を明らかにするという目的もあるので、写真の裏にその作品の作者の経歴が書かれている。