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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館十一世 野笹寸大

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神風館十一世 野笹寸大

 

 

十一世 野笹寸大

享保十一年(1726)出生、野笹氏(野篠)、本名秀雄、通称六右衛門、
後ち魯久助、茗荷園と号した。田中中世古(本町)住、神楽職、
御師の代官であった。
俳号に就て、俳集上及び墓碑面には寸大と見え、本人自筆物
に見ると寸大、寸太二様に書かれ、その執筆年代には関らない
ように思われる。
寛政十年(1798)十月、七十六歳で神風館を襲いだが当時、足代家へ
差入れた証書を見ると(榊原頼輔著『足代弘訓』)
 覚
 一、文台 一脚
 一、硯箱 一組五重
 一、神風館印章 二個
 右は館主附属の什器に候此度拙者預り申候向後神風館譲り
 候節は社中より御届申候而御聞済の上此書付を以右品々可
 致申請仍後証状件如
 寛政戊午十年十月
 神風館 寸大印
 社中惣代 木蓊(神風館12世)印
 同 禾石印
神風館の襲号は、足代家の許可を得て成立し、俳諧熱心にし
て人望ある者が選ばれ、由緒ある道統を伝えるに、慎重な態度
がとられたらしい。
寸大の俳壇に於ける事蹟並びに俳歴に関しては何等伝うる処
がない。丸井木蓊、岩出禾石、杉本吏舡等中堅俳子及び書家蒔
田必器と風交篤く、作句技倆に秀で見るべきものがあり、存生
の享和初年(1801)、神風館号を木蓊に譲って居る。

 

文化四年(1807)十月二十日没、八十二歳。
墓所 大世古共同墓地
碑面 二口頭大夫中臣秀雄墓
 死生有命富貴在天吾とゝまるところをしれらん人は誰そ
 水仙や蓮より清き居所
 右前神風館 寸大 八十二翁
(注)墓碑面に「しれらん入は」とあるは「しられん人は」
の転倒誤刻で、尾上町寿巖院に現存の句碑には正しく刻さ
れて居る。
 さゝ波や夜ともわかす鳰の月 (天明五年良夜作)
 から馬の荷鞍に梅の折枝かな (寛政十一年はるのこと)
 月の駒すゝみ過たる渚かな (享和二年守武祠句集)
 誰か春そ梅にかけたる濡かもし (享和三年吏舡歳旦)
 ひき鶴の翅(はね)に乗する夕日哉 (文化元年木蓊歳旦)

○かもし(かもじ)-加文字とも書く。髪文字の略。女性が日本髪を結うとき頭髪に補い添えるための髪。
○ひき鶴(引き鶴/引鶴)-春、北方へ帰って行く鶴。帰る鶴。 [季] 春。



 

神風館十一世 野笹寸大まとめ

・享保十一年(1726)出生、野笹氏(野篠)、本名秀雄、通称六右衛門、後ち魯久助、茗荷園と号した。田中中世古(本町)住、神楽職、御師の代官。
・寛政十年(1798、73歳)八月二日、神風館十世足代弘臣が没し、十月に神風館を継ぐ。(本文には76歳とある)
・享和初年(1801、76歳)、神風館号を木蓊に譲る。
・文化四年(1807、82歳)十月二十日没。

 

 

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