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三重県文学ブログ

三重県、特に伊勢市の文学に関すること。時代は江戸~戦前。

神風館五世 梅路(2)

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神風館五世 梅路(2)

 

梅路の資料は竹部涼袋を通じて探ぐると、伊勢のはなし、続三疋猿、梅の便、接穂の梅、南北新話前後編、俳仙窟等々可也豊富でその俳風、俳論、伊勢の一句立の特色等を知り得よう。
涼袋の梅路に対する尊敬礼讃は非常なもので、南方の仙と讃へ神風館の雅神として、江戸深川の吸露庵にまつった程の傾倒振りを示した。延享三年(1746)晩秋伊勢に来って、その病床を見舞い
 木と月の手に世話やくや中の猿 涼袋
 銀河を滝に落す夜嵐 梅路
の対吟表八句を成した。(後年涼袋は江戸社中と謀ってこれを百韻に満し、寛延元年(1748)続三疋猿を編した)また、
 水仙の明星遅し枕もと 涼袋
 ぬくめてならふ水鳥の友 梅路
の一巻を成し、梅路より伊勢俳諧の現傾向の批言をきき、最後に念願とする伊勢風の附合の奥儀を受け、欣びつつ大和の古山亭に向った。延享四年(1747)此処で梅路の報に訃接し、
 雪折と見へしが咲かで塚の梅 涼袋
の吟をなしてその長逝を敬悼した。(紀行梅の便、本多夏彦氏稿)


〇竹部涼袋-竹部綾足(1719~1774)。江戸時代中期の国学者、俳人、画家。享保4年生まれ。20歳のとき郷里の陸奥弘前を出奔、ほとんど全国を遊歴。はじめ伊勢派の俳諧宗匠として活動、また長崎で絵画をまなび寒葉斎の画号で一家をなす。宝暦13年賀茂真淵に入門、俳諧をすてて19音の片歌説をとなえ、片歌道守の称号をえる。晩年「西山物語」「本朝水滸伝」などの読み本をあらわした。安永3年3月18日死去。56歳。本姓は喜多村。名は久域(ひさむら)。俳号は涼袋。
〇雪折-樹木が降り積もった雪の重さに耐え かねて折れること。季節:冬。


 

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